【英語学習】② 幼少時から大学生になるまで
前回の投稿で私自身の英語上達の道のりは20歳TOEIC390点だったことを話しました。
そしてその4年後、私はTOEICの点数を準備なしで受けても970点まで上げることができ、今から10年ほど前に最後に受けたTOEFLでは107点が取れ、その後、英語圏の大学院を卒業しています。
英語が話せるようになり、苦手意識が完全に消えるまでの4年間、私は何をしたのでしょうか。
ここで大切なことを一つ言います。
私は英語に苦手意識があり、話せない、それこそ点数は低かったのですが「嫌いではなかった」ということです。
逆に英語は「好き」でした。
英語が好きだったのになぜ苦手意識を持つようになったのでしょうか。
英語が好きだった小学生時代
実は私には英語がペラペラな叔父がいます。
そこまで親しい中ではないので、一年に1〜2回顔を合わせていたのですが、「英語」というものに小さい頃から馴染みがあったのは彼のお陰かもしれません。
叔父は私が5歳の頃、アメリカの大学に留学しました。
まだ固定電話や公衆電話が普通に使われ、国際電話の料金がとても高く、海外にいる人とは国際郵便で手紙でやり取りをしていた時代です。
海外の切手を見て珍しがっていたのが懐かしい、、、
アメリカってどこ?当時私は何も知らずに空港へ行き、叔父を送り出したのを覚えています。
叔父が留学経験から得たもの
海外の大学で学びたいと夢見た叔父
母方の家はお金に余裕のある家ではなく、大学に行くなら自分で稼いで行くのが当然でした。
そして女の子は大学なんて行かなくていいと言われ、実は兄弟の中で大学に行かせてもらったのは叔父だけです。
なのに受験に失敗し酷く落胆していた叔父。
浪人時代、彼は米軍基地で働く少し年上の兄貴なような存在の人と親しくなり、いつしか海外大学に留学する夢をみるようになったそうです。
しかし、家庭の事情を考えると大学4年丸々私費留学をするのはとても無理。
とりあえず国内で入れる大学に入り、編入をしようと考えて彼は昼間は勉強、夜は遅くまで出版社でバイトをしながら留学の準備をしました。
そして数年後、彼はついに夢見たアメリカのワシントン州での留学生活を開始します。
もちろん、お金が十分になかった彼の生活は厳しく、飲食店でのバイトに明け暮れながら生活費を稼ぎ、勉強するのが本当に大変で涙を流すことも多かったようです。
そして授業に行けない日が続いた彼は結局大学を卒業できず2年後には帰国することになりました。
彼は今でもその時の悔しかった気持ちを忘れられず、その時のことを良く語っています。
留学経験は彼の人生を支える糧に
今ではオンラインでクリックするだけで簡単に受けられる海外大学の授業。世界の舞台で学びたい!という夢を叶うのがここまでも困難な時代がありました。。。
ここまで聞くと、ただの挑戦と失敗の話にしか聞こえませんが、留学を準備し、アメリカでの生活は、30年以上が経った今でも彼を支える大切な経験になりました。
彼は留学をしたおかげで、英語だけはペラペラでしたし、様々な背景の人と混ざって仕事をし、とてもタフで生活力の高い人になっていました。
帰国しても大学を卒業することはなかった叔父でしたが、そんな彼を気に入ってくれたある会社の社長に雇われ、パソコンの部品関連の会社に就職することになりました。
数年後、叔父は社長の右腕のような存在になり、私が小学生になった頃は世界を飛び回るビジネスマンになっていました。
叔父の経験が英語学習に与えた影響
彼が営業マンになって世界を飛び回るようになっていた頃、私は放課後にラジオを聴くのが趣味の小学生でした。
歌うのが好きだった私はラジオから流れる人気のポップソングを聴きながら、どんどん英語が好きになり、いつかは叔父のように世界を飛び回りたい、と夢みるようになっていました。
ただ現実はそんなに容易いものではありません。
いくら英語が好きで毎日聴いていても、特にお金をかけて塾や英会話教室に通ったりすることはできなかったので、ただただ英語が好きなだけ。
たまに道で外国人を見ると話しかけてくて仕方がないのに、シャイな性格なので話しかける勇気まではなかったそんな小学生でした。
いつか留学したい、と思うことはあっても現実的に可能だとはとても思えなかった頃でした。
英語が苦手になる
文法なんてなくなれば良いのに
ポップソンが好きでよく聞いてはいるし、歌詞も少しは理解できて発音も真似してるけど、学校の授業はそれとは程遠いもの。
学校の授業で学ぶのは文法中心の英語で暗記することばかりで全く頭に入ってこない。
文法はとても苦手でいつもうっかり間違えてしまう。
今のようにYouTubeを自由に見られる訳でもないですし、こんな言葉から覚えて文章が読めるようになって、、、どうなる?
ドライすぎる英語勉強をしていてもテストではなかなか高得点が取れず、自信をなくしていく日々。
たまに会うネイティブの先生に話しかけようと頑張って頭で繰り返しても、文法を間違えずに言おうとすると語順がぐちゃぐちゃになり、口から出てくるのは間違った英語ばかりでした。
とにかく喋るのは「恥ずかしい」と思ってしまう。
そんな中でも周りには海外に留学する友達もちらほら出てきて、自分のいつかは海外で学びたいという気持ちも芽生えてきていましたが、あまりにも遠い、実現可能性は全くない非現実のような夢のように感じました。
TOEIC390点という現実
高校を卒業してからは叔父会うたびに「英語は話せるようになった?」と聞かれると、英語ができる叔父を持つ事を大きい負担に感じるようになっていました。
そして、大学生になって必須授業で初めて受けたTOEICの点数。。。
すごく良くできたつもりは全くなかったけど、なんとその点数390点。
しかもほとんどはリスニングで何とか取れた点数で、読解は酷かったのを覚えています。
その日、結果を手にしてメディア室を出てくる時に感じたあの恥ずかしい気持ちを、20年近く経った今でも忘れません。
友達に点数を聞かれた時は、とてもじゃないけど言えないと思ったくらいでした。
英語が好きだなんて言ってて何の意味があるの? こんな実力で良くも大学に入れたな、この点数と実力で海外の大学に行くなんて、ただの〇〇だな、と自分を卑下しました。
恥ずかしい気持ち、もっと頑張れない自分を非難したい気持ち、諦めたい気持ちなどなど。
390点という数字のインパクトはかなり大きいものでしたし、今考えると実はその日のショックが自分の目を覚ましたとも言えます。
そして私は覚悟を決めて英語上達のための下準備を始めました。